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[2010.2.1]

メガバンクから経営コンサルへ華麗に転身
中国と30年間向き合ってきた筋金入りの中国通

前川晃廣アナリスト キャストコンサルティング取締役で、キャストコンサルティング(上海)有限公司広州分公司総経理兼キャスト投資香港有限公司董事の前川晃廣は、これまで30年にわたり中国を見つめ続けてきた筋金入りの中国ウォッチャーだ。「BCL」をきっかけに中国に関心を持ち、高校時代に初訪中、大学4年時には上海の復旦大学へ国費留学する。就職でも中国にこだわり、日本興業銀行へ入行し、広州事務所首席代表などを務めた。08年にキャストコンサルティング取締役に就任し、経営コンサルタントへ転身を果たす。現在は華南地区をベースに、中国ウォッチャーと金融マンとしての経験をフル活用し、クライアントに最適なソリューションを提供することを使命に真剣勝負の毎日を送っている。

「BCL」をきっかけに中国ウォッチャーに
前川晃廣アナリスト 「中国に触れたもっとも古い記憶は、1976年、小学6年のことです。その年の9月9日に毛沢東主席が亡くなり、北京放送がずっとレクイエムを流していたことを今でも覚えています」と前川晃廣は回想する。当時、若者を中心にBCL(Broadcasting Listeners)、いわゆる短波の国際放送を聴く趣味が大流行。好奇心旺盛な若者たちがラジオに耳を当て、世界各国の短波放送からまだ見ぬ外国に想いをめぐらしていた。四国・松山に暮らしていた前川もそうした少年のひとりで、受信状態のいい近隣の中国や朝鮮半島の日本語プログラムに、宿題をしながら夜な夜な耳を傾けていたという。その後、前川は「中国ウォッチャー」の道を歩むことになるが、あるいはラジオから別の国の放送が聞こえてきていたら、前川と中国は繋がらなかったかもしれない。
 「BCLから聞こえてくる中国の様子に好奇心を刺激されました。次第に、日本にはアメリカの情報は氾濫しているのになぜ東アジアについてはみんな知ろうとしないのかと疑問に思うようになり、東アジア、なかでも中国のことを積極的に学ぼうという気持ちが芽生えてきました」(前川)
 81年の夏、高校2年の前川は念願の初訪中を果たす。日本青年会議所主催の日中高校生の交流事業で1週間、上海、西安、北京の3都市を訪問した。
 「最初に訪れた上海では、男性は人民服、女性はワンピースとサンダルという出で立ちで、質素ながらも生き生きと生活しており、日本のメディア報道や書物から抱いていた『古くて遅れた国』というイメージを覆されました。漠然とですが、なにか大きな可能性に満ちた街だという印象を受けました。当時、ただでさえ珍しい外国人、しかも高校生ということで、行くところに必ず私たちを取り囲む人垣ができました」

上海復旦大学へ国費留学し中国研究
 前川は84年、慶應義塾大学政治学科に進学した。専攻は国際政治学の「比較社会主義論」。入学前から「中ソ論争」を研究し、修士・博士に進みたいと考えていた。
 「われわれは上の世代とは違い、イデオロギーから解放され、冷静に国際関係を見ることができた世代です。社会主義への関心は純粋に学研的なものでした。周りに中国政治に興味を持つ者はおらず、ちょっと変わった青年だったことは確かです。大学入学時の関心事は毛沢東が1949年に、どうして社会主義陣営を選択したのかということ。この答えの一端に触れたくて、大学時代は休暇になるとバックパッカーとして中国各地を列車で旅しました」
 当時、日本では中国入国ビザが容易には取得できず、日本人は通常、香港でビザを取り中国に入った。外国人が訪問できたのは原則的に「対外開放都市」だけ。前川はいつも香港から列車で広州に渡り、そこで列車の切符を買って目的地まで行き、その街の大学の「招待所」(学生寮)を拠点に、気ままに中国ウォッチを楽しんだ。
 「宿泊できるのは開放都市だけでしたが、列車での移動は自由で、未開放都市の中国人と仲良くなるなら列車に乗るのが最適でした。列車では、『中国語を操る日本人がいる!』と隣の車両から見物人がわんさかやってくることも日常茶飯事でした。大学で学んだ中国語や筆談で庶民と交流できる貴重な機会となりました。農民が切符を持たずに列車に乗り込んできて鶏肉を売りさばき、そのお金で車内で切符を買ったり、夜行列車では一般座席の下の高さ50センチもないスペースで横になる人がいたりなど、自分の常識を覆される風景にたびたび遭遇しました。毎回感じた感想は『中国には敵わないな』というものでした」
 大学4年だった87年から、前川は中国の国家教育委員会(現教育部)招聘の国費留学生として、上海の復旦大学国際政治学部に1年間留学する。
 「留学の動機は『80年代の中国をじっくり見ておきたい』というような軽いものでした。しかし、留学するからには語学留学ではなく研究がしたいと、留学前までに中国語を仕上げました」
 復旦大学では「比較社会主義論と中国共産党の政策決定システム」を専攻。「当代共産主義運動史」などの科目でも単位を取得した。中国人の同級生からは「なぜそんな硬いテーマに興味があるのか?」と訝しがられたという。
 「中国語は授業を受けるのに支障のないレベルで、これまでの中国研究や旅行の経験もあり、スムーズにクラスメートの中に入っていけました。当時は中国語を喋る外国人は珍しく、周りからいろいろな質問を受けました。そのほとんどが、資本主義国家である日本の社会体制や歴史認識についてのものでした。紋切り型の質問を受けること多かった中で、『日本と中国は文化のルーツは同じなのに、なぜこの100年余りでこんなにも遠い国になってしまったのか』と、私から問いかけるといろいろな反応があり、中国にも多様性を持った若きエリートがたくさんいることが分かりました」

興銀で上海支店課長、広州事務所首席を歴任
前川晃廣アナリスト 89年、大学を卒業すると日本興業銀行に入行。同行への志望動機もやはり「中国」だった。「興銀なら『中国をやれる』と確証を持って入行しました。当時、同行は上海虹橋の国際貿易センターに50%を投資するなど、中国に積極的に関与していました。行内には中国に詳しい先輩がたくさんおり、いろいろ吸収させてもらいました」と前川は振り返る。
 駆け出しの4年間余は大阪支店で、化学・繊維セクターのホールセールを経験。その後、東京本店に異動し、中国東北三省の開発事業に携わり、投資環境調査や行政対応などを行った。そして98年、初の中国駐在を果たす。
 「上海支店課長として赴任し、外国為替営業と法人融資を担当しました。2000年には広州事務所の首席代表に就任し、当時進出ラッシュだった日系完成車メーカーとそのベンダー各社、それから鉄鋼や化学メーカーの進出サポートを務めました。広州駐在の4年間、新規会社設立においては、製造業とサービス業を合わせて100社以上をバックアップしました」
 広州赴任中の02年にはSARSが発生。前川はこのSARS騒動を通じ、日本のメディアの影響力の大きさと中国における「現場」の重要性を認識した。
 「02年秋に『今年のインフルエンザは強いらしい』という噂が流れ、お酢を煮しめて蒸発させれば大気中のウイルスが死ぬとか、乳酸菌飲料を飲むと風邪をひかないなどの根拠のない対症法がまことしやかに語られていました。03年2月には、広州日本人学校が1日だけ休校になったのですが、その頃が広州でのSARSのピークでした。しかし、北京や上海での感染者が発表され始めた4月以降になってやっと、日本で大騒ぎになりました。『メディアに踊らされる日本人』の実態を目の当たりにする思いでした」
 SARS騒動では、現場と日本の報道には大きな乖離があったと前川は指摘する。
 「中国では、現場にいなければ分からないことが多いです。現場の大切さについては、日本の企業が悩む中国での『マーケティング』においても痛感します。日本企業は、お金をかけて『実証的で科学的なマーケティング』を実施したがる傾向がありますが、広くてかつ刻々と変化する中国において、物事の一面だけを切り取って採り上げることはできても、全体を短い言葉で語ることなど不可能です。いわゆる『マーケティング理論』がなかなか通用しないのが中国なのです。数値とにらめっこをするより、むしろ自ら現場に足を運び、現場を見て対処法を感じ取ることが大事ではないかと思います」

三顧の礼でキャストコンサルティング取締役に
 02年、日本興業銀行は第一勧業銀行、富士銀行と統合し、みずほフィナンシャルグループとなった。広州駐在を全うした前川は04年、みずほコーポレート銀行本店中国営業推進部に異動する。
 「異動後も銀行内の『中国コンサルタント』として、引続き中国案件を任されました。しかし、次第に金融の枠にとらわれずに全面的に中国と関わる仕事がしたいと熱望するようになりました」
 こうした中、前川はコンサルタントへの転身を決意。08年にキャストコンサルティングに取締役として三顧の礼で迎えられる。
 「銀行時代から多くのコンサルティングファームの知人、友人と情報交換をしてきました。その中でキャストについては、『法務・会計・税務のすべてのサービスをワンストップで提供し、弁護士・会計士・税理士・コンサルタントの各専門家が対等に活躍する唯一無二のコンサルファーム』と認識していました。例えば、自分自身が万能でなくても、万能に近いファームに所属していればクライアントにベストな選択を提供できると考え、キャストへの参画を決めました」
 キャスト入社の3カ月後には、キャストコンサルティング(上海) 有限公司広州分公司総経理兼キャスト投資香港有限公司董事に就任し、家族を伴い東京から広州に拠点を移した。
 「キャストでのコンサルタントの仕事は想像以上にハードなものです。毎日が試行錯誤と後悔の繰り返しで、真剣勝負です。『クライアントの真の利益はどこにあるのか?』『クライアントにご満足いただくには、ここでどう判断し、どうお伝えすればよいのか?』『利益を極大化するベストタイミングは?』『中国側交渉相手や当局の意図はどこにあるのか?』など、すべての案件で複雑な変数が絡み合い、毎回異なった悩みと格闘しています」
 前川は、中国における経営コンサルティングの難しさについて次のように話す。
 「一般的な経営コンサルティングでは、成功体験と失敗体験の積み重ねから、成功体験を抽出して理論に近づけるというアプローチを採ります。日本や米国での経営コンサルティングには、数十年の歴史の積み重ねがあり、ある程度定番のソリューションが存在しますが、中国におけるコンサルティング業はまだ始まったばかりです。さらに国土が広大で環境変化が激しく、文化的画一性を持ちにくい人々の集合体ですので、こうしたソリューションへのアプローチ法を確立するには、まだまだ時間がかかると考えています」

経営コンサルとしての飽くなき向上心
前川晃廣アナリスト 08年の金融危機以降、中国における日本企業の動きは一時鈍っていたが、最近はM&A(企業の合併・買収)が動き出しており、キャストではM&Aのデューデリジェンス(詳細調査)を多数請け負っている。前川は金融マン時代の経験をフル活用し、広東のみならず中国全土でのM&A案件で大活躍している。
 「以前中国におけるM&Aといえば、日本企業が中国もしくは第三国出資の企業を買収するケースが多かったのですが、最近では日系企業の事業の一部もしくは全部を売却したり、香港・台湾企業も巻き込んだ複数のプレーヤーによる会社の売買が展開されたりと、異なる展開を見せています。銀行時代に取得した証券アナリストの資格と知識は、こうしたM&A案件で生かされています。また、対象企業の企業価値評価はもちろんのこと、中国側がどのような知識や考え方で交渉に臨んでいるかの仮説を立て、どう対応すればいいのか、日本側クライアントにアドバイスしています。今後は日本企業と中国上場企業との合弁設立や、合弁・独資企業の中国での上場も出てくるものと思われ、それまでにさらに経験を蓄積しておきたいと考えています。ちなみにキャストでは法務から会計・税務まで、すべての分野のデューデリジェンスをワンストップで提供しており、この領域での競争力も非常に高いです」
 金融マン時代を含めて「中国コンサル」歴が約20年に及ぶ前川だが、その飽くなき向上心はとどまることを知らない。09年には、経営コンサルティングの唯一の国家資格で、合格率5%以下といわれる難関の「中小企業診断士」の試験に合格した。
 「試験は09年に合格しました。今年、日本で規定の実務補習を受ければ資格として登録完了です。中国でのコンサルティングはクライアントの相談に少しでもいい加減な回答をすれば、相手を『地獄』に落とすことにもなりかねません。クライアントには自分とキャストグループのすべての能力を傾注し、ベストなソリューションを提供しなければいけません。こうした思いから、企業診断士の資格を取得することにしました。経営コンサルタントとしての成長には終わりはありません。いま40代半ばで、すでに人生の折り返し地点に差し掛かっていますが、コンサルタントとして後半の人生で吸収することは山ほどあると感じています」
 前川は、中国における経営コンサルタントとして高みを目指すのと並行し、ライフワークとして日中の相互理解に貢献したいという。
 「日本人が疑問に感じる中国の現状に対し、『なぜこうなのか』『なぜ中国人はこう考えるのか』と分かりやすく日本の皆さんに解説していくのが、これまで30年以上中国と向き合ってきた私の使命だと考えています。今後も引き続き、微力であっても日中両国が本当に分かり合えるようになるためのお手伝いがしたい。また、自らの中国理解もさらに深化させていきたいです。そしてできるならば、後世のために"Sinology"(中国学)を立ち上げたいです。中国を理解するには並大抵の努力と時間では不可能ですので、もしも寿命が2、3倍になってもやっぱり私は中国研究を続けているでしょうね(笑)」

 

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